Sunaoさん、子宮委員長はるさんを知るまで、
自分の「子宮」に真剣に意識を向けたことがありませんでした。
今まで、いわゆる“子宮系スピリチュアル”に対してはどこかでスルーを貫いてきた私。
けれど今になって思うのは、そこに大切な「女性としての自己受容」が隠れていたということです。
子宮にまつわるトラブルと、女であることへの拒絶
高校生の頃から経血量が人より多く、23歳のときには妊娠した子を流産。
その後の出産では子宮口が開かず、帝王切開となりました。
まさに「子宮トラブルだらけ」の人生でした。
当時は、子宮なんてなくなればどんなに楽だろうとすら思っていた。
「男に生まれたかった」と何度も考え、
女である自分を心から好きになれなかったのです。
自分の女性器を洗う以外の目的で触れるなんて、考えたこともなかった。
そんな汚いところ、好きな人に見られて嫌われたらどうしよう――。
そう思って、自分からも、他人からも遠ざけていました。
夫は潔癖症だったこともあり、
「絶対に嫌われる」と思い込んでいた私にとって、
性というテーマは重く、ブロックの塊のようなものでした。
性欲は人並みにあると思うのに、
どこかで「女としての自分」を否定していたのです。
子宮の声=魂の声に耳を傾ける
子宮の声を聞こう。
そう意識するようになってから、少しずつ変化がありました。
子宮の声=肚の底からの声=魂の声。
そう捉えるようになり、
本格的なケアはしていなくても、
子宮あたりに手を当てて意識的に呼吸をするだけで、
自然と“自愛”の言葉が浮かぶようになりました。
「無理をする自分」から「休める自分」へ
帝王切開の傷跡は、今も3cmほどミミズ腫れのように残っています。
ありがたいことに傷跡の痛みは出産後1週間ほどで消えました。
今思えば、痛みに鈍感になっていただけだったのかもしれません。
看護師さんに「どこが痛いですか?」と聞かれても、
「わかりません」としか言えなかった。
「痛くても動けるし」と思って、産後もろくに休まなかった。
家事と育児しかしない生活。
「休むのが怖い」と感じていたのは、
“休む=価値がなくなる”と思い込んでいたから。
普通のお産さえ叶わなかった自分の身体を、
当時は全く大切にできなかった。
むしろ「産後でも動けますアピール」をしていた自分。
今の私から見れば、身体に対して本当にひどいことをしていたと思います。
今となっては、あの頃「休む必要があった」と心から思う。
休めなかったからこそ、強制的に休まざるを得ない出来事が起こったのだと思う。
夫から拒絶され、精神的にどん底まで落ちたのは、
“ちゃんと休め”という身体からのメッセージだったのかもしれません。
あとがき|女性として生きる喜びを取り戻す
今日はいつもより少しお洒落をして、ショッピングモールへ出かけました。
今まで縁のなかったスタイリッシュなお店で、
アイブロウペンシルをひとつ購入。
産後はお洒落をして出かけることを避けていたけれど、
「こんなに楽しいんだ」と感動しました。
フードコートでクレープを買い、
見晴らしのいいテラス席を選んで食べていたら、
まるで旅行のような気分に。
何度も訪れているモールなのに、
「こんな場所があったんだ」と驚くほど。
今までは、同じ景色を見ても“心の余裕”がなかったのだと思います。
視点が変わると、見える世界が変わる。
今日の体験はまさにそのことを教えてくれました。


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