「不自由な中でしか希望は生まれない」
――そんな言葉を、誰かのnoteで見かけた。
たしかに、不自由だからこそ湧いてくる欲望や衝動に、
人は突き動かされるのかもしれない。
不自由が生む“欲望”と“焦り”
私は小さい頃から、お金のない環境で育った。
だからこそ「お金を稼ぎたい」という強い欲求が生まれたのだと思う。
けれど、気づかぬうちに“お金”ばかりを見つめて、
自分という存在をその下に置いてしまっていた。
「お金を稼げない自分には価値がない」
――夫と暮らしていた頃の私は、ずっとそう思っていた。
無価値感からの行動は、ただ苦しい
無価値感からくる行動は、ロクなものではない。
妊娠中でどんなに辛くても、体調が悪くても、
一日たりとも家事を休まなかった。
「休んだら役立たずと思われるのではないか」と、
休むことが怖かった。
お金を稼ぐために努力していたけれど、
「こんなに頑張っているのに、なぜ結果が出ないの?」と
焦りばかりが募っていった。
そんな日々の中で、どんどん疲弊していった。
無価値感からの願望は、
ただ心を削っていくだけだった。
今は、“好きなように書く”という自由
今もまだ、稼げているわけではない。
けれど、今の私は“好きなように書いている”。
誤字も脱字もあるかもしれない。
文章もきっと整っていない。
それでもいい。
「特に何も考えず、書きたいことを書ける」ことが、
今の私にとっての小さな自由だと思う。
私なりの「不自由の中でしか希望は生まれない」の解釈
不自由の中から希望を見出し、
そこから人生経験を積み、
自分という存在の可能性を開いていくこと。
――それこそが、人間に与えられた“生きる楽しみ”なのかもしれない。
少なくとも、今の私はそう思っている。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。



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