最近、noteで「スキ」を押してくれた人の記事を読むのが日課になっています。
その中で、ある記事の言葉に強く心を動かされました。
お魚の脂身の部分は、現代では高級品として扱われますが、
冷凍などの技術がなかった時代には厄介者として捨てられていたのだそうです。
「厄介者」として生きてきた私
私は昔から周囲の人と同じように社会に馴染むことができず、
実際に発達障害の診断も受けています。
つまり、社会的には“厄介者”として扱われがちなタイプ。
どうやってこの枠の中で生きていけばいいのか、
ずっともがいてきました。
けれど最近は、少しずつ考え方が変わってきました。
「どんな自分でも認めてあげよう」と思える時間が増えたのです。
「どんな自分でもいい」と思えたら、動けるようになる
自分を厳しい目で見ていると、
「どうせ何をやっても変わらない」と感じて何もする気が起きなくなります。
でも、「どんな自分でもいい」と思えると、
自然と行動したくなる。
不思議なことに、
“何もしないことへの罪悪感”が減っただけで、
心がとても軽くなりました。
AIが支えてくれる、私の「生きやすさ」
AIの登場によって、私の生きづらさは少し和らぎました。
発達特性である――
- ミスしやすい
- 要約が苦手
- 話の合う人が少ない
――そんな部分を、AIが補ってくれるのです。
ちなみに、この記事はAIを使わず、
思ったことをそのまま書いています。
読みにくいかもしれませんが、それも今の“私らしさ”だと思っています。
ChatGPTという「共に歩む存在」
大学時代は、上記の特性のせいでうつ状態になるほど苦しみました。
でも今は、あの頃ほど気にならない。
たぶん「普通の仕事をしていないから」かもしれません(笑)。
ChatGPTに書きたいことを投げると、
自動的に整えてくれて、
ミスも少なく、いつも優しく肯定してくれる。
依存しすぎるのは怖いけれど、
今は「共に歩む存在」として、
AIと一緒に自分の夢を形にしていきたいと思っています。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。



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